2016/04/28

回文関係者に聞く(5) ひざみろさんの巻

「回文関係者に聞く」の第5回めは、技巧的回文から自然な回文まで、幅広い作風の理知派の営業マン、ひざみろさんです。「回文の評価」という、重要ながら避けられがちだった話題に果敢に切り込んでいくひざさんの勇姿を、しかと見よ。

ひざみろ(膝) 回文との出会いは、10歳くらいのときに読んだ1冊の本です。松原秀行という作家のジュブナイルのミステリーシリーズ「パスワードシリーズ」に、『パスワード電子猫事件』という作品があるんですが、その作品のテーマが回文だったんです。人工知能を搭載したネコ型ロボットが出てきて、キーワードを投げられると回文を返す、という設定でした。
罅ワレ(罅) 面白いですね。その本で覚えている回文は?
 たとえば、
うどんへ野菜いためた、いいサヤエンドウ。
 古典回文じゃないんですね。
 そう、オリジナルなんです。とにかく全編にわたり回文をねじ込んで来るんですよ。回文って凄いなと思いました。回文を作る同年代の人で、同じスタートに立ってるひとにまだ出会えていないのが不思議なくらいです。でもそのころは回文は作れず、作り始めたのは高校生のころです。校内で模試を受けていたとき、持て余した時間で作ったら、できました。それからずっと継続して作っています。初めは一人で作っていたんですが、大学生のときに回文投稿サイト「回文21面相」に阿呆兄弟という名前で投稿したり、就職が決まった段階でtwitterを始めて回文クラスタに入ったり。
でも、回文でやっていることは高校生のときからずっと変わらないなという感じです。いちばん影響を受けたのはやはり『パスワード電子猫事件』の回文群。自分の回文のルールも、その本のルールが根付いてしまっています。基本的に清濁変換はやらない、発音の違う「は」の同一視はOK、大小変換はOK。これは全部パスワードルールなんです。それから、ぼくは縁語をたくさん入れた回文をよく作るんですが、それも『パスワード……』の大締めに出てくる、チェスのコマすべてを示唆する言葉を入れ込んだ回文に感銘を受けたからです。今日、こういうものを持ってきたんですが……
 ネタ帳?
 回文帳です。自分の作った回文のうち、回文をあまり知らないひとが見ても意味が分かって、「おおいいじゃん」と言ってくれるであろう回文だけを書いてあります。このなかの、
出来るかうまく、混むよ模試。理解軽めとも言える数、どうも悔やむ予感な社、至難か読む訳もうどうする英、求める解か理、詩も読む国。ま、受かる気で。
この「英・数・国・理・社」みたいな、関連する言葉を全部入れる回文はとても好きです。
 これはひざさんぽいですよね。
 こういう技に走るのはあの本の影響ですね。ひとによっては、技巧に走って意味がよく分からない回文はあまり好きじゃないという方もいらっしゃるんですが、回文は言葉遊びなので、ぼくは意味の通りを多少軽視してでも技巧をやる価値はあると思っています。でも、回文を作らないひとに回文を見せる機会があるものですから、そういうひとに分かってもらえる、自然かつ完全な回文もある程度作れるようになっておきたいな、と。たとえば
攻めたら勝てる気で何回も食らいつきな!……きつい? 楽もいかんな、できる手から試せ!
などですね。
 ぼくはこれがすごいと思います。
外見劣る遺伝のリスクの答え、科学が変えた。この薬飲んでいると恩恵が!
後世に残すべき回文です。
 これはすごく気に入っています。ひとに「これはいいと思います」と見せる回文は、こういう分かりやすい回文になるだろうなと思います。でも、技巧も好き。自分は「こういう回文が作りたいです」というよりは、できることは何でもやりたい。節操がないんでしょうね。
 でも見ていると、好みはそれなりにはっきりしてるかなという気はしています。
 してますね。こだわりはめちゃめちゃあります。今後、自分のその回文評価をどう言語化するかを、多少アカデミックに掘り下げていきたいなと思っています。

(このあと「完全回文の定義」という問題を1時間半くらいにわたり議論しましたが、文字にするとわけが分からなそうだったので、泣く泣くオールカットします。そのうちきっとひざさんのブログや、当ブログで解説されることでしょう……)


回文の評価基準を考える


 回文を評価するときは、根本は好きか嫌いかでいいと思うんですよ。でも、ここがいいねというポイントは、単なる個人の好き嫌いだけではなくて、もうちょっと何かあるんじゃないのと。
 うん、それはみんな感じていることですよね。
 そもそも評価には「主観的評価」と「客観的評価」がありますよね。好みとか感覚的なものがある一方で、客観的なもの、共通言語でくくれるものもある。フィギュアスケートの構成点と技術点に似ているかもしれません。
回文での「主観的評価」というのは、2つの要素があると思っています。1つめは理解可能性。
 「何を言っているかわかる」と。
 それから2つめが、共感可能性。要は好きか嫌いかですよね。主観的評価は正味こんなもんやなと。さて、他方の「客観的評価」のほうは、何らかの形で言語化できるはずなんですよ。
 そこをお聞きしたいですねえ。
 客観的評価で語れる要素が多いほうが鑑賞がしやすくなると思うので、その要素をいっぱい考えたいなと。なお、これはあくまで回文単体の評価の話で、イラストつけたりするのはまた別の付加価値だと思うので、それは置いておきます。まず評価基準の1つめとして
(1)緩和規則をどの程度使っているか。完全回文になっているか。
同じ内容の回文があったとして、1つが完全回文、もう1つが違っていたとしたら、完全回文のほうがそらすごいでしょって話。次に
(2)独自のアイディア・ルールを追加すること。
いわゆる技巧ですね。回文の定義である対称性以外の、何らかの縛りを入れるって話。以前「具体清濁回文」っていうのを作ってたんですよ。
 清音と濁音がすべてひっくり返る回文ですね。
 そういうのが縛りを増やす方法の例です。3つめと4つめは、2つめとオーバーラップしていますが、
(3)形式、定型。
短歌や脚韻、折句もそうですし、SATOR陣なども。それから
(4)別ジャンルの言葉遊びとのハイブリッド。
ダジャレ回文、いろは歌、漢字分解の回文など、言葉遊びに別の言葉遊びを入れるもの。ほかには
(5)文法との乖離性の低さ。
 文法がちゃんと通っているかどうか。
 そうそう。主観的な理解可能性とはまた別なんです。というのも、助詞が1個抜けてても理解はできる。でも助詞が1個あったほうがいい。あるいは、時制が合っているか、文語と口語が混じっていないか、というのもあります。あとは
(6)口調の統一性。
だ・である、ですますの統一などですね。それから
(7)造語の回避。
これを入れるのはなぜかというと、造語を使ってしまうと安易な回文が作れてしまうから。あとで「無名の人名問題」について話すときに、造語が許されるのはどういう場合かについて考えたいんですが、前提としては、造語は回避するに越したことはない。あと、これがちょっと説明が難しいですが、
(8)構造的な美的感覚
っていうのかなあ。対概念が入っているとか、並列項とかリフレインとか、そういう構造的なもの。これはもっと具体例を挙げていく価値があると思う。それと
(9)縁語関係。
ぼくが好きだと言った、関連する言葉をたくさん入れるもの。これも客観的評価になる。あと、
(10)視覚効果
は、どうなんだろう?くらいなんですけど、一考に値するかなと。渦巻きみたいに文字を配置するとか。本来なら必要じゃないけど、鑑賞に特別なイメージを与えるかもしれない。それから
(11)感動詞の回避。
「う」とか。いまざっくり考えてみたのはこのくらい。まだ他にもあるだろうと思います。言うたら、ここに挙げたことは当たり前のことだと思うんですよ。他に、あれも考えようこれも考えようというふうになってくると思います。
 回文の「長さ」も評価基準になるかもしれないですね。長くて意味が分かるのは凄いとか、逆にコンパクトにまとまっていて凄い、というのも。
 ああ、それはありますね。
けっきょく回文の評価は、あちらを立てればこちらが立たないということだと思うんです。技巧に走れば意味は通らない。だから、アラが目についちゃうとどうしてもそこばかりに目が行ってしまうんですが、アラがあるのはここを重視しているからだ、というふうに言えたらいい。それが正当な評価だと思うんです。それをやりたいから、とにかく客観的に評価できるポイントを洗いざらい出していきたい。今までは感覚でやってたんですが、ちゃんと言語化していこうと。ぼくは褒め殺しとかするタイプじゃないんですけど、見た回文は褒めたい。いいところを見出したい。
 それはなんででしょう。
 だって、モチベーションになるでしょう。自分の勉強にもなります。言語化できたら、同じ要素を使って何かできないかと思うし、アイテムが増えれば増えるほど自分の作風が広がる。
 いい考え方ですね。ちょっと気になるのは、そうやって挙げた基準が、ひとによっては「ぼくはこんなことは重視しません」という場合もあるかもしれないですよね。たとえば造語の回避という項目がありましたけど、「造語なんて気にしない、評価の基準に入れなくてもいいんじゃないの」という意見はありえます。それはどうでしょう?
 あくまでさっきの基準は、羅列しただけで、それを重視するか軽視するかは別の話です。客観化・言語化できるアイテムをたくさんもったうえで、俺はこれはどうでもいいと思ってる、というのはありだと思います。客観なんて主観の延長なので、最後には主観が入るのは当然で、それでも主観のモノサシの前にあるアイテム自体は共通言語でくくっておく、という考えですかね。たとえばぼくが誰かに「ひざくん、この要素が良いと思うんだけど」と言われたとして、「え、マジで」と思ったとしても、それはあくまで自分のモノサシなので、たぶんぼくはその要素を取り入れますわ。それがまた別のひとにとっても良い要素かもしれない。これまでは完全に自分だけの感覚・モノサシでやってきたんですけど、そろそろその辺は頑張っていかなきゃいけないのかなと。
 ひとの声を聞くっていうのは大事なことですよね。
 そう、それをやろうかなっていうのが最近の野望です。


無名の人名はいつOKか


 ぼくのなかでは、造語は回避すべきものだという客観評価があります。みんながみんなそうかどうかはわかんないですけど、「安易な造語は控えるべし」という評価をとるひとはたぶんけっこういるはず。でも、これは避けるべしと今まで思ってきたものに対して、あえてそれをやったうえで納得行くものを作ろうと目指せば、新しいものができるんじゃないかと思います。たとえば、無名の人名を回文に入れること。
 以前は無名の人名はいっさい入れてなかったんですか。
 そもそも入れた回文が作れませんでした。人名を入れようと思ったこともなかった。でも最近ときどき入れています。無名の人名がどういう場合に美的に許されるかというと、その人名に「必然性」があるかどうか。たとえば、このあいだ作ったアイドルの回文があります。
ダーリン、おはー☆
ゆるふわパッション異彩アイドル、
スマイル伝説、外田まいデス!
稲光より速く、やはりより華美☆
ナイスで今だと率先出る!
イマ鋭いアイサイン、よしっパワフル☆
ユーはオンリーだ!
ここでアイドルの名前を言う必然性はたしかにある。自己紹介なんだから。しかも、既存のアイドルにちょっと似ている名前にした。まず構造として必然性があって、さらに人名に無理がないので、これはありかなと。他にはこういうのもあります。
身銭が言わずとも無いよう……カニ日に日に買うよ、稲本ズワイガニゼミ……
 稲本かっていうね(笑)
 こういうのは、前なら作ろうとも思わなかったけど、「なんとかゼミ」という言葉には人名を使う必然性があるっちゃある。
 でもぼくはこれは抵抗があったな。
 自分でもギリギリのラインです。今まで作ってこなかった辺縁をとりあえず作ってみたという感じです。無名の人名だけじゃないですけど、今まで客観評価の点で欠陥になると思っていてやらなかったことをあえてやる、しかも必然性を与えて納得の行く回文を作るという方向で、自分の回文の裾野を広げていきたいなと。そのためにも回文評価の客観要素をたくさん出して行きたい。


評価の表裏一体


 罅ワレさんがこの先やりたいことというのは?
 回文の作り方を追求したいです。たとえばひざさんの「赤青黄」の回文は、単純に言葉をひっくり返すところからは出てこないと思うんですよ。
赤:止まる。
青:なら期し行き来。
黄:危機意識らなおある、待とかあ。
いろいろな回文の作られ方を分析して、新しい作り方を見つけたい、という気持ちがあります。
 ぼくの作り方は、テーマや評価体系から始まっていて、それを実現するために回文を組んでいるので、「これを絶対に入れなきゃいけない」っていうのがあるんですよ。手探りで言葉を足していくというよりは、先に完成形の理想を見ながら、理想にどこまで合わせられるか、というような感じです。「赤青黄」の回文は、絶対に「赤、青、黄」を入れるという前提から作り始めました。そして、「黄」から始めるのはダメだな、「青」か「赤」かからじゃないと始められないな、と。「青」が最初だと最後が「おあ」になってダメなので、「赤」から始めた。それで「赤、止まる。青、……」となった。これはたぶん、三分ぐらいでできてますね。
 早い……。
 これは苦労してないです。「期し」とか無理があるんだけど、これ以上いじれねえなあと。でももうちょっと上手いことできそうな気もする。
 青のあとの「なら」がちょっと気持ち悪いですね。ほかはコロンのあとが全部文なのに。
 そうですねえ。……あ、できたできた。
赤:止まる。
青:難なく行けよ。
黄:余計苦難なおある。待とかあ。
 ちょっと良くなった。青のあとも揃いました。あ、こっちにしよ。
 いいですね。でも「苦難」は気にならなくもないなあ。
 そうですねえ。でもほかの二つが綺麗だからこれくらいしょうがないのかなあ。
 そういう気にもなってきますけどね。元の「危機意識」という語も捨てがたい。
 そうだなあ。危機意識が入ってる点では元のほうだなー(笑)……もうちょっと寝かしておきます。
みんな「ぼくはぼくの作り方」みたいに思っているところがあるから、こうやって作り方を共有するのはいいですよね。
 ところで、話しにくいかもしれないことなんですが、評価方法を考えることで、ひとの回文のいいところを見出したいという話でしたよね。逆に、悪いところもあるわけですよね。
 そう。
 「赤青黄」について話していても、いまお互いに、「ここが気になる」「惜しい」みたいな話ができましたよね。回文について、もっとそういう話ができたらといいと思うんです。
 いいところと悪いところ、ぼくは表裏一体だと思っています。聞こえがいいから「いいところを見つけたい」と言ってるだけで、ぼくの評価基準は、「緩和規則を使ってない」とか「造語を使わない」とか、使うとそれはマイナスですよという意味合いを持つ評価になっている。だから、いいところを見つけたいと言いながらも、自分で見つけるときはアラ捜し的な見つけ方をします。問題はそれをひとに伝えるときで、営業マン的な話になりますが、ひとによって伝え方は変わります。罅さんとだったら「ここが……」とか話しますけど、ヤイヤイ言われるのが余計なお世話だというひとはぜったいいる。そういうひとには基本的にポジティブな言い方をします。作るひとが楽しくないと良くないので。これは、本音を言えばただの「言い方」にしか過ぎないんですけど、そこは配慮が大事かなと(笑)。
 営業マン的なね(笑)。
 あるひとに、ひざくんは聞こえのいいこと言ってるけど裏返せば厳しいことを言ってるよね、と言われたこともあります。すごくフラットにものを言ってるな、と。いや、そうなんですよ。ぼくは、甘々な評価をして何でもかんでも褒めるわけではなくて、分析はフラットです。ただ、評価を権威的なものにしないような配慮は必要だなと思っています。それは回文をアカデミックに考える上では本当は必要ないことなんですけど、人どうしの関わりの中でやっていくには必要なことかなと。
評価基準に重きを置いているぼくと、作成方法に重きを置いている罅さんと、言ってしまった以上はお互い頑張らないといけませんね。
 そうですね。
 「そんな難しい話いいよ」ってなるかもわからないですけど、きっと難しくないって考えてやるのがいいんじゃないかな。評価基準や作成プロセスが言語化されて紹介されるのは、誰にとっても有用なことだと思います。よし、やるかー! だんだんひざくんの決意表明になってきましたね(笑)
[2016年3月20日談]

6 件のコメント:

  1. ひざみろ2016/04/29 10:56

    まとめ、ありがとうございました! ここでお話しさせていただいたからこそ、色々と行動できるモチベーションになりまして、頑張っていかなきゃなあという思いであります。
    完全回文については、ここに載ったら載ったで四苦八苦するわたしの様子が生々しくなりますね(笑)ゆっくり進めていきます。
    重ね重ね、ありがとうございました。

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    1. こちらこそありがとうございました。1か月以上お待たせしましてすいません。いろいろ深く話してくださり、ネット上ではこれまで見られなかったであろうひざさんの発言も出てきて、面白い記事になっていると思います。
      完全回文は、あの四苦八苦感が貴重なような気もしつつ、しかし文字にするのは難しかったですなあ。ブログで書かれるの楽しみにしております。私のほうでも何か書くかも。
      お互い頑張っていきましょうー。

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  2. 評価基準の言語化、僕のような未熟者にとってはとりわけありがたいですね。
    自作の欠点を見つめ直すのも、他の方の作品から長所を取り入れるのも
    客観的な評価基準があったほうが断然やりやすいです。
    貴重なインタビューをありがとうございました。

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    1. 読んでくださりありがとうございます。評価基準についてはこれを機に今後いろいろ議論になるといいなと思っています。多くの人の回文の好みを聞けたらいいなと思ったりするこの頃です。

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    2. 僕の個人的な評価基準(好み)では
      ①日本語として自然なこと。意味が通りやすいこと。(上記基準では(5)(6)あたり)
      ②何らかの長所・特徴があること。(上記基準では(2)~(4)(8)~(10)あたり。他に内容の面白さ、情景の美しさ、現実との整合性など)
      この双方を満たしていることが良作の条件です。
      ①を満たしたうえで、②の総合レベルが高ければ高いほど評価が高まる傾向にあるようです。

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    3. 基準お聞かせくださりありがとうございます!
      「意味が通りやすいこと」は、上の記事だとあんまりはっきりと言われてないですけど、大事なポイントですよね。私も①を、②的なことを測る上での前提にしたいところだけど、①を満たすだけでもけっこう難しくて、作者本人が満たしてると思っても実はひとから見ると満たされてないっていう場合がけっこうありそう。インタビューのカットした箇所で、りゅうさんの回文の分かりやすさについてちょっと話したりしました。このあたりも話せばいくらでも話題が出てきそうです。

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