2017/01/11

回文関係者に聞く(7) 三田たたみさんの巻

私が話を聞きたい回文関係者に好き勝手に話を聞くコーナー「回文関係者に聞く」第7回は、三田たたみさんです。著書『めぐる季節の回文短歌』(書肆神保堂)を最近刊行されたり、『NHK短歌』2016年11月号 にも回文短歌が掲載されたりと、回文短歌の一線で活躍される三田さんに、回文短歌にぜんぜん通じていない私が遠慮なく好き勝手に質問しております。ハラハラ感(?)をお楽しみください。

罅ワレ(罅) 回文を作り始めたきっかけは?
たたみ(た) 2009年から小説を書き始めたんですが、約1年後にスランプ仲間だった方が突然Twitterで回文をつぶやき出したんです。それに乗っかって作り始めるうちに、面白くなってきちゃった。最初は短いものでキャッキャッ言ってたんですが、だんだん長く伸ばすことに夢中になっていって回文詩を作るようになって、いつのまにか回文短歌やってた。
 時の経つのが早い(笑)。最初は、回文のどういうところが面白いと思われたんですか?
 回文を作り始めた直後は、仲の良い小説仲間の名前をひっくり返して相手にぶつけたりするのが楽しかった。コミュニケーションのツールとして、ギャグとして。それから、回文をやっているひとを探すことに夢中になっていました。回文をTwitterでつぶやいているひとを発見したら、砂漠でオアシスを見つけたかのように「私も回文作ってるんですよ」と近づいていきました。Googleの「回文」での検索結果を100ページぐらいまで遡ったり。今でも、Twitterも何もやっていないけど回文を作っている人に出会ったら、キュンッてなりますよね(笑)。
 わかります。とくに印象に残った回文の作り手はいましたか?
 長いのが作れる人に尊敬を抱きました。福田尚代さん をまず見つけて、「アーティストすげー」と。
 福田さんは独特ですよね。
 同じころに 夢野ホトリさん を見つけて、その回文に憧れて中二っぽい回文詩を作り始めました。小説が書きたいのに書けない状況で回文をやっていたので、回文で小説っぽいフレーズが書けたら面白いなと思って挑戦して、回文の沼にドプッてハマったんだと思う。ちょっと長いのをTwitterでつぶやいたら、回文に触れたことがない人からいっぱい「いいね」されて、調子に乗りました(笑)。褒められて伸びるタイプです。いちばん最初にできた長めの回文は これ。その後、いい回文詩も作れるようになったと思います。夢野さんの真似をしようと思って一生懸命頑張りました。最後に、これでおしまいにしようと、ちゃんと物語風になっていて、死ぬほど頑張って読めば意味が通じる日本一長い回文詩にしようと思って作ったのが これ。2012年でした。
 長っ! ちょっと読む気がしないなあ(笑)
 でしょう(笑)。狐の呪いの島にたどり着いた人たちがひとりまたひとりと死んでいくっていう話。そういうのが、福田さんや夢野さんから学んだエッセンスです。このころは本当に濃厚な回文活動をしていたと思います。

回文短歌のわからなさ


 詩はそれで一段落して、短歌を作るようになったと。
 周りで「回文を考えたけどパクられた」みたいなことがいくつかあって、パクるパクらないの境界線ってなんだろうと考えたとき、「短歌とか俳句の形式になっているのが重要かもしれない」と。既存の確立されている文芸に則って回文を作ることで、オリジナリティを主張できるんじゃないかと考えて、とりあえず短歌にしぼりました。ちょっとアカデミックでしょう?(笑)
 うーんどうかなあ(笑)
 あ、そう(笑)
 短歌を始めたのはオリジナリティのためだったと。
 オリジナリティが欲しいというより、自分が思いついたと思ったのに「実はそんなのもうその道の人は知ってるよ」という状態になるのが申し訳ないと思ったんです。短歌の形式に当てはまっていれば、ひとに害を与えずに自分が回文を作ったって言えるんじゃないかなと。「お前パクっただろ」と言われるのが怖かったって話です。
 前から短歌が好きだった、とかではなく?
 短歌はいっさいやったことがない、興味もまったくない。『サラダ記念日』ってタイトルは知っていたくらい。
 それが本の出版までつながるんだから面白いですね。
 一時期、回文短歌を毎日作ってTwitterにあげていたんですが、みんな総スルーだったわけですよ。自己満足以外の何物でもない。神保さん(『めぐる季節の回文短歌』の版元である書肆神保堂の中の人で、短歌も作られている方)が初めて出版打診のメールをくれたとき、「えっ」と思って。これのどこにそんな価値があるんですかと(笑)
 あはは(爆笑)
 神保さんから「過去に作った回文短歌を全部見せてください」と言われて、データを渡したらマルバツをつけてくれて。本に載せるにはマルが足りない。それを追加で作れと言われて、慌てて作りました。何が神保さんに受けるかわかんないんですよ。自分では良し悪しがぜんぜんわかんない。
 ぼくもわからない(笑)
 わかんないですよね(笑)。短歌のひとには基準が何かあるらしいです。
 本の冒頭に載ってる回文短歌3つはこんな感じですね。
路地消ゆる 哀しき我が身 抱いた肩 痛み乾きし 流る雪しろ
雪林 春の草あり 胸焦がす 過去眠り浅く 乗る馬車は消ゆ
問ひ恨む どこか意地悪 梅見つつ 見目麗しい 過去弔うひと
 神保さんから「本に載せる短歌の解説をつけて」と言われたんだけど、背景とか思い入れとかもまったくない(笑)。でも、ふつうの歌集のように歌がずっと続いていくのではこの値段で人様の手にとっていただけないと思って、「とりあえず意味が通じるように、解説という名の掌編小説をつけさせてください」とお願いしました。その小説は物書きクラスタにも好評なんですよ。「意外といい小話多いね、歌のほうは意味わかんないけど」みたいな。それが正しい評価。
 掌編小説の背景は、回文短歌を作った当初から頭にあったんですか。
 ない(即答)。意味のある回文短歌っていうのが作れたら、素晴らしいな、面白いなと思うけど、無理だなとも思う。死ぬほど回文短歌作ったつもりだけど、意味が通じるのはひとつだけですね。うたの日 (短歌投稿サイト)に出した これ です。
感情が向かい風にも溶け続けともに世界が向かうよ進化
ほかのひとのを見てても、たとえば ザトウクジラ の回文短歌
遠く陽を見ながら時空閉ざすキス ザトウクジラが波をひく音
とかはすごいけど、正直、意味わかんないものもたくさんあるじゃないですか。すごいな感は出てるんですけど。意味わかんないもの作って、なんで自信満々にアピールできるのかなって(笑)
 意味がわからないのも、何か魅力があるんでしょうね。何なんでしょう。
 何だろう……
 ひとが作った意味分かんない回文短歌は、どういうところに感心しますか。
 とりあえず執念がすごいなと(笑)
 回文の中身じゃないんですか(笑)
 けなしているわけじゃないんですけど、その意味不明感を面白がれるかどうかですよね。無理やり「面白スイッチ」を押せば楽しめる。
 ぼくには押し方がよくわからない。
 私もわかんないですけど(笑)。短歌クラスタの反応を見ると、回文短歌は新鮮らしいんです。短歌でよく「ポエジー(詩情)」って言うじゃないですか。何なのかよくわかってないんですけど、それが回文短歌にはけっこうあるらしいですよ。意味がめっちゃくちゃになるから、それを一生懸命意味が通じるものとして解きほぐそうとすると、ものすごく深く読み込まないといけない。そういうのが逆に楽しいみたい。
 回文の意味のなさゆえに詩情が出てくるのが回文短歌のよさだとすると、回文であること自体は重要ではないのではないかという気がちらっとします。回文短歌ができたら、それをもとにして読みやすい日本語の短歌を作れば、もっと短歌としてよくなるのでは?
 それはいつも思います。自分にない発想を回文からいただいて、それを自分流に整える。しようと思えばできるんですけど、「何か違う」感がある。
 うん。前から回文短歌を見るたびにそれを思ってたんです。回文じゃなくなると何かの価値が減るんだろうなとは思うんだけど、それは何なんでしょう。
 言霊的な、ぐるっと廻っているウロボロス的なかっこいい世界観があるんですよ。そう思うことにする。そのかっこいい世界観だからこそ価値があるわけで、それをたたき台にするだけだと、すごく陳腐になる気がする。
 たしかにそう思います。
 借り物感がすごいというか。
 じゃあ日本語としておかしくても、いまいち何言ってるかわかんなくても、それでいいと。
 回文短歌はそれでいいと思います。ザトウクジラレベルを毎回作れるひとになれれば、それはもう超賞賛されるけど、さすがに厳しいですよね。

短歌としての回文短歌


 NHK短歌の「ジセダイタンカ」(選ばれた期待の歌人が7首の連作を発表するコーナー)に出した歌はすごく考えました。本の出版にあたって、短歌を勉強して、短歌クラスタのひとたちに見せるための回文短歌を考えるようになったので。
 評判もよさそうですよね。
 評判はめちゃくちゃよい。とくに短歌の世界の若手の人たちからはドン引きするぐらい評価が高い。とくに1首評判がいい歌があって、
乗った船は色も波も離島舞う鳥もみな脆い羽、ふたつの
 うまくまとまってますね。
 ですよね。でも褒められるとき「回文短歌を自分もやってみようと思ったけどできなかったんですよ」というのがだいたい理由としてつくんです。そりゃそうだよなって。
 回文歴が違いますからね。
 そうそう。でもそれって要は、すごいテクニックをもっているひとに対する賞賛ですよね。「いい歌だね」とかではない。それは我々が回文クラスタの技巧派の面々のロジカルなのを見て「すごいな」というのと同じで、マニアって言われているひとたちのマニア度に対する賞賛、キワモノとしていいねっていう感じ。
 ジセダイタンカの歌でこだわったポイントは何でしょう。
 本に載せた回文短歌と違って、ジセダイタンカの7首は完全回文(清音と濁音を同一視しない回文)なんです。濁点変換をしないという縛りが増えただけで、回文短歌の窮屈度がものすごく上がる。完全回文派のひとたちには申し訳ないですが、自分は完全回文にまったくこだわりがない。意味不明な回文をますます意味不明にしてどうする、と思うんです。完全回文でない場合は、全部ふりがなをつけたほうがいいと思うんですが、歌人さんたちの前でそれをするのはとてもカッコ悪いことだと考えて完全回文にしました。それから、7首の頭文字を「ジ・セ・ダ・イ・ノ・ウ・タ」にしました。それだけ決まれば逆に作りやすいです。
 なるほど。短歌の雑誌に載せるにあたっての苦労はほかにありましたか。
 初めて連作を作ったので、まず神保さんに見てもらったら、「たたみさん、連作というのは小説で言うならばオムニバスです。同じキャラばかりが主人公ではなく、第一首に出てきたキャラが第五首に出てくるような緩いつながりのなかで……」みたいなことを言われて、ハッと。そこで、夢野ホトリ方式で、回文でキーワードとしてよく使う中二っぽい単語、母や愛などを入れて作り直しました。ほかにも、神保さんから「この歌は世界観から外れている」と言われて何首か差し替え、ジセダイタンカの担当のひとにも「この歌は……」と言われて何首か差し替え。指示をいただかないとわからないんですよ。でもプロが言うから間違いないんだろうなと。
 差し替える前はどういう歌だったんですか。
 (スマホを見せつつ)これ。
 ……趣味の問題な気がする(笑)
 ははは(笑)
 でも短歌のひとが言うんだから何かあるんでしょうね。
 そうなの。短歌は、自分はレベルが1か2しかなくてスライムを斬っているところなので、よくわかんないまんま。回文の評価ってわかりやすいじゃないですか。意味が通じてるかどうかとか……それ以外にも何かあるかな。
 日本語として自然かどうか、とか。でも基本的には「深読みすると面白い」みたいなのはないですよね。
 うん、ない。でも短歌はわかりやすすぎるとボッコボコにされる。難しいですね。素人の短歌に対するプロの添削とかを死ぬほど読めば、多少はわかるようになるかもしれないけど、今はちょっと届く気がしないです。そこまでの情熱が自分にあるかもわかんない。
 そこまでやってからの回文短歌を見てみたいです。
 そうなったらスーパーサイヤ人的な(笑)。でも作る回文短歌はけっこう変わったと思うんだよな。ノーマル短歌をやる前と後、つまりこの本とジセダイタンカとの間で。
 明らかに違うのは、五七五七七の間にスペースを空けなくなった。
 そう、そう。あとルビも振らなくした。だから『めぐる季節の回文短歌』は本当にページを開けない。黒歴史本(笑)
 でも神保さんには感謝しないといけないですよ。
 ほんと、神保さんありがとうございます。神保さんがいなかったら、いま回文やらないでゴロゴロしていたはずだから。

よくわかんない今後


 最後に、読者に何かひとことありますか。
 罅ワレブログの愛読者のみなさま、えー……こういうの求められると難しいですね。いま短歌クラスタで珍獣として珍しがれていて、このあいだ「三田さんの活動、面白いから注目してました、今度イベントやりましょうよ」とか言われました。何のイベントなのかさっぱりわかんない(笑)。まさか回文短歌講座になるわけないよな。
 活動の場は今後も広がりそうですね。
 でも、回文でどうこうしたいってとくにないですね。回文始めた経緯もよくわかんないし、作った中身もよくわかんないし、これからもよくわかんないっていうのが結論(笑)
 いいと思います(笑)。よくわからないのを今後も楽しみにしています。
 はい、ありがとうございました。
 ありがとうございました。

[2016年12月10日談]

0 件のコメント:

コメントを投稿